2023.9.12開催! 心臓ヨガⓇから健康まちづくりの道へ その先に待つものとは?

 

今回のゲスト秋山綾子さんは、兄の突然死をきっかけに、高校時代から取り組んでいたヨガを「心臓病の患者さんのリハビリのために活かしたい」と決意。北里大学病院心臓リハビリテーション室に勤務しつつ、大学院でヨガと心臓血管機能との関係について研究します。心臓ヨガⓇを開発し、「すべての人が1秒でも長く”自分らしく”生きられる社会を創る」を理念として活動を続けるうちに、思いは「健康まちづくり」へと広がりました。

 

子どもの頃から活発だった少女が、心臓ヨガⓇ開発に至るまでの道のりと、そのターニングポイントを語っていただきました。

 

「みなさん、おばんでございます」笑顔で語りかける綾子さん。

「心臓ヨガに対するイメージを、1分くらい、グループで話し合ってみてください」快活な投げかけに、参加者のみなさんもリラックスした様子で語り合います。

 

「心臓に意識を向けるヨガなのかな。でも写真を見ると、普通のヨガのように見えます」

「動物のポーズのイメージです」

「心臓でどうやってヨガをやるのか。皆目見当がつきません」

次々と意見が出ました。

 

「心臓はわかりますよね。ヨガもある程度は耳にする。ただ『心臓』と『ヨガ』が一つになると『なに?』となる。ちょっとのぞきたくなる。『心臓ヨガⓇ、このネーミングがいいよね』とは、よくお褒めいただきます」と秋山さん。

 

「心臓ヨガⓇってなんですか」名刺交換すると8割の方から聞かれるそうです。実は、ここに至るまで10年の月日を要しました。

 

 

高校教員の両親の下で生まれた綾子さんは、いわき市に生まれ、両親の転勤に伴い、2歳で父の実家がある喜多方市に移り、中学校まで喜多方市で暮らします。喜多方の山間で農家を営む祖父母の家ではうさぎや牛、鶏も飼っていました。そこで彼女はトラクターで田んぼに行ったり、土手でいなご取りをしたりと活発な少女時代を過ごしました。

 

「小規模校だったので小2からスポ少に入り、ミニバスケをやっていました。ピアノもバイオリンも習っていましたね。ただ、今の子どもたちより暇だったと思うのは、塾には行ってないんですよ」

 

「中学校はバスケットボール部に所属して、大会があるときだけ特設部が立ち上がって、陸上と合唱をやっていました。全部部長です」県立安積高校に進学すると陸上部に入部。個人競技を選んだのには理由がありました。

 

「医師になりたかった。そのために自分が休むとチームに迷惑がかかる団体競技ではなく、個人競技を選びました」

実は秋山さんは、小学生の時に大叔父を癌で亡くしたことをきっかけに医師を志した時期があったのです。

 

「元気だった叔父ちゃんが、どんどん痩せていき、顔色が悪くなり、起き上がれなくなって生気がなくなっていく様子を『切ないな』と感じ、『なんとかできないかな』と思って医者を目指しました」

 

しかし医学部受験にとって必須な数学が、壊滅的にできなかった(本人談)ため進路変更。所属していた陸上部の練習で怪我をした時に、理学療法士の世話になったことから理学療法士を目指すことに。金沢大学医学部保健学科に進学します。

 

「金沢はとてもいい街で、とても楽しい4年間を過ごしました。今でもなるべく機会をもうけて行くようにしています」

 

ところが2008年の夏、彼女が大学3年の時に3歳年上の兄が突然他界。秋山さんが幕張にて開催されていた理学療法士の学会に参加し、金沢行きの高速バスに乗り込む、まさにバスのトラップに足をかけた時に、その電話はなりました。

「お兄ちゃんが事故に遭ったから、そちらに向かってくれ」という母の声に、行き方を調べるためにいったんカフェに入ります。再度かかってきた母の電話で兄の死を知るのです。

 

「どうやって行ったのか、その時の記憶がなくて。ただ兄の遺体が安置されていた警察署に向かう電車の中で、声を出さずに泣いていました」

 

社会人1年生で、営業職として新人賞をとるくらいがんばっていた兄。入社前の人間ドックでも異常なし。精密検査も受ける必要がなかった兄。非常に楽しく過ごしていたということを通夜、葬儀の席で友人や同僚、先輩たちから聞きました。

 

「人って簡単に死んでしまうこともあるのだと痛感しました。心臓はなんでとまってしまうんだろう。兄の心臓はとまったけれど、今生きている大切な人たちの心臓を元気に維持できるような、あるいはより元気にできる方法はないだろうかと思いました」

 

大学では専門過程を選ぶ時期に入っていたので、理学療法を学びたいと、迷わず循環器を選びました。卒業後、心臓リハビリテーションの研究が進んでいる北里大学の大学院に進学。同時に北里大学病院の心臓リハビリテーション室に勤務し、理学療法士として心筋梗塞や狭心症、不整脈、心不全などの患者さんのリハビリテーションを担当します。

 

「高校時代から続けているヨガと、心臓の研究のために進んだ大学院です。心筋梗塞を発症して1週間くらい経った患者さんを対象にヨガのクラスを開催し、データをとって研究していました」

 

さらに博士課程に進み、ヨガが心臓と血管機能の変化に与える影響の研究を続けました。しかし次第に、ある疑問がわくように……。

 

働き盛りの男性が、40代半ばで心筋梗塞を発症し、今まで担当してきた身体を動かす大好きな仕事ができなくなる。職場に復帰しても、身体に負荷のかからない仕事に移動になる。「仕事、楽しくないんだよね。もう辞めちゃおうかな」というリハビリ中のつぶやき。 

 

「そんな声をたくさんの患者さんから聞くうちに、そもそも発症しない環境づくりの方が大切だなって思ったんです」

 

そのタイミングで起業もします。「ある会社さんから仕事のオファーをいただいた時に、株式会社を設立しました。会社では健康関連の教育や、ヨガ、ピラティスを含めたセミナー事業をやっていました。その中で心臓に特化したヨガのセミナーを「心臓ヨガⓇ」とまとめた時、『会社は別にしたほうがよいね』と共同経営者と話しました」

 

 

株式会社の経営を離れたあと、29歳で病院を退職。博士課程まで進んだ大学院も中退し、翌年「一般社団法人ポジティブヘルス協会」を設立。秋山さんは代表理事になります。心臓ヨガを中心にウェルビーイング経営の学びを深めたり、コロナ禍の中でワーケーションに取り組む人たちとのご縁も深まったりする中で、家庭の事情から喜多方市の実家に帰ることに。

 

喜多方市ではまだ根付いていなかったワーケーションの提案を、市長に直談判したことがきっかけで、地元の旅館組合や観光物産協会、商工会議所と共同で「喜多方ワーケーション推進協議会」を立ちあげます。活動を続けるうちに新聞連載も依頼されました。心臓病の患者さんの回復のための取り組みのスタートが、いくつかのターニングポイントを経て、「まちづくり」へと変化していったのです。

 

「そもそも自分自身が硬かった身体を柔らかくしたくて始めたヨガです。スポーツトレーナーを目指してアメリカやインドにヨガ留学して指導者の資格も取りました。しかし兄が亡くなったのを契機に、活動の軸は『心臓』になりました。やがて心臓ヨガⓇになるのですが、今は『ハート磨きの方を広めたい』という思いが強く育っています」

 

心臓ヨガⓇは、いつでも、どんな服装でもできる。ただ「心臓」を前面にだすのではなく、ポジティブヘルスからの「ハート磨き」を広めたい。「歯磨きのように、当たり前のように毎日できる。小さな子どもから高齢の方まで、みんなでやるのが当たり前な日本になったら素敵だ」と語る綾子さん。

 

彼女の思いをシャワーのように浴びて後半は、参加者全員で『心臓ヨガⓇ』を体験しました。心臓ヨガⓇ発祥のいきさつと思いを知ることで、いっそう深まった時間になりました。綾子さんが目指す「毎日、当たり前のように動いている心臓に感謝し、心からの思いを大切にする日常」を、私たちが送る日も近いのではないでしょうか。

 

 

参加者からのご感想(ページが移動します)

心臓ヨガ公式サイト

 

                                                聞き手:武田悦江

                                                撮 影:三部香奈、武田悦江