2021.8.19オンライン開催!【映画上映&トーク】小学生が母校を映画に!未来に伝える”仮設の学校”

今回は夏休み特別企画として、東日本大震災により避難先の仮設校舎に通う福島県富岡町の小学5年生が制作した映像作品の上映&ゲストとのディスカッション会を行いました。ゲストは富岡町立富岡第一・第二小学校<三春校>教諭の松枝秀甫(まつえだひでとし)さんで、子どもたちと一緒に1年間、作品づくりに取り組みました。司会・進行は、震災後まもなく開局した、富岡町の災害FMから三春校に関わってきた久保田彩乃が担当し、後半では参加者の質疑応答に松枝先生と共に答えました。

 

最初に松枝先生から、富岡町の位置と東日本大震災による避難により富岡町の学校が一時的に休校状態になったこと。早急に学校を再開させるために、役場や教職員が協力したこと。

震災から半年後の平成23年9月に、町から約60キロメートル離れた三春町で三春校を再開させた経緯の説明がありました。

 

震災前の富岡町の小学生は937人でした。三春校には開校当時100名の生徒がいましたが、平成30年4月1日から富岡町内でも小学校が再開し、富岡町に29名、三春校は5名となりました。小学生のほかに、中学生が4名、幼稚園児が1名通っています。小学4年生より下の学年の子どもたちは震災後に生まれたため、震災当時の記憶はほとんどありません。三春校は令和3年度で閉校になることが決まっており、三春校に通う子どもたちは、閉校後は居住地の学校に通うことになります。閉校決定後、三春校では総合学習の時間を利用して、児童たちにできること、やりたいことを考えさせた結果、学校の歴史を記録に残すことになりました。記録をつくるにあたり「何のために、誰のために残すのか」「どんな内容にするのか、どんな方法で残すのか」など、一つ一つ児童が考えながらつくりあげたものです。

(松枝先生)


※資料提供:松枝先生

今回のイベント開催にあたり、子どもたちによる映画紹介VTRが流れました。以下、箇条書きにご紹介します。

 

1.映像制作のテーマ

・三春校の歴史を残す

三春校が今年で閉校になるため、三春校の歴史を残し、三春校を知らない人にも知って欲しいと思った。

・児童や生徒、先生の思い出を残したい

自分たちが過ごした三春校での楽しい思い出をふり返ることができるようにしたい。いつでも思い出せるように映像作品を作ることとした。

2.どのように作っていったか

・三春校を昔から知る方、教育長さん、バスの運転手さん、家の人などにインタビューをした。

・子どもたちへアンケートをとったりインタビューをしたりした。アンケートを元に、日常生活の撮影をした。

・内容を起承転結に分け、テーマに添った形にした。

・最後にパッケージ制作をした。「過疎だけど密です」「友だち100人できなくてもいい!最高な学校!」「工場で学力・体力向上!」など、見る人の興味をひくようなパッケージにした。

3.映画のみどころ

・先生や生徒の気持ち、思い出をメインに作りました。三春校の良さを感じてほしいです。(みなみさん)

・インタビューした人たちや僕たちの閉校することについての気持ちを感じてほしい。(冬佑真・ふうまくん)

 


~映画の一シーンから~

・体育館建設の思い出。バスケットをやった楽しさ。

・通学バスの添乗員さんから幼稚園の頃からの思い出と成長話を聞く。聞いている2人の表情が和む。涙ぐむ。

「当たり前」だと思っていたバスでの送迎が、当たり前でないと気づく。

・在校生に「三春校の良いところは?」と聞く。

「助け合っていること」(小学生)

「仲が良いこと」「先生たちとの距離が近い」「ほかの学校だったらありえない」(中学生)

三春校のみんなが仲良しなのは、思いやりがあって助け合うから(冬佑真くんのナレーション)

・僕たちはこの学校で出会った人たちが大好きです。(結びのナレーション)


上映後、司会進行役の久保田から「自分が臨時災害FMから三春校に関わってきた中で一番感じているのは、震災原発事故に境目がないこと。これまで様々な災害があり仮設校舎が建てられてきたが、仮設校舎が10年間続くことは今までなかった。それだけ甚大な災害だったということ。富岡町だけではなく、双葉町や大熊町でも未だ避難先での仮設校舎が存在している」と補足説明をした上で、松枝先生に制作に対する感想と今後の取り組みについてお聞きしました。

 

今回いろいろな方の話を聞く中で、今まで教師として当たり前にすごしてきたけれど、そもそも学校があることが当たり前ではないこと、子どもが学校に通うことが当然ではないこと。学校自体、いろいろな方の力があって出来ているのだと感じました。

 

今まで何度か上映会を行った結果、児童たちが伝えたいことを超えた感想をいただきました。たとえば「時間が経ってから価値がでる映像」「いろいろな立場を超えて見られる」という感想をもらったことで、どんな人に見てもらおうかという考えが生まれました。「自分たちがおかれている環境が普通ではない」と、見ている人(周囲の人)が感じるのなら、どういうところが普通じゃないことなのか。同世代の人は震災のことをどのくらい知っているのか。そこで、どんなことを伝えていく必要があるのかということを考えさせていきたいです。(松枝先生)

 

 

後半は質問と感想のシェアタイムとなりました。主な質問と、それに対する回答をご紹介します。

 

1.富岡町で閉校になるのは三春校のみなのか?

富岡町は元々小学校が2校あった。それが避難後に両方三春校に入っている状態である。同様に中学校、幼稚園も2つあった。ただ現在在校している子どもたちが少なくなっているのに加えて、富岡町の避難指示解除に伴い、2018年度、富岡町内に小学校が建てられた。三春校閉校後、富岡町の小学校、中学校は一つの学校にまとまる予定になっている。

 

2.マイクやカメラが入ることで、子どもたちの語り方が変わることはあるか?

3.「映像」という方法にこだわってのプロジェクトの中で変わった部分などがあれば聞いてみたい。

最初にどんなメディアにするかを子どもたちと話し合った。映像というメディアの特性として、同時に見られる、時間がわかる、当事者の生の言葉が伝えられるという理由から選んだ。ただ総合学習の中で難しかったのは、対象者が話すことに対する疑問や掘り下げる質問過程だった。制作のプロの指導を仰いだ点でもある。(松枝先生)

 

災害FMの時、2013年当時の三春校の子どもたちが非常にメディア受けする言葉をたくさん持っていた。インタビュー慣れしていた子どもたちは「ふるさと富岡町」「早く帰りたい」と言っていたが、新聞やメディアが発信する言葉をそのまま子どもたちが多用している印象があった。子どもたちの身の丈にあう、自分たちの言葉で大人たちと会話してコミュニケーションをとるという経験をしてほしいと思い、まずは学校を自分たちの言葉でラジオを使って紹介しようとしたところからはじまった。たしかにカメラがあるときれいな言葉を使うということもあると思うが、その中で等身大の今の自分の言葉で大人とコミュニケーションをとってほしいというのが願いだった。(久保田)

 

久保田の発言に呼応するように、震災以降、双葉郡の子どもたちを見続けてきた参加者の一人から「震災直後の子どもたちは大人によって形作られた言葉で話す印象があった。だからこそ自らの体験や実感に裏付けられた、自分たちの言葉で語る活動は意義があると思った」という意見が寄せられました。

 

制作側の久保田から「福島県は広く”はま・なか・会津”と文化も言葉も違うため、震災、原発事故という言葉に対しても、それぞれの思いが違う。当時の被災者さえそうなので、10年経った世代の子どもたちが違うのは当然である。大人の考えを押しつけて『あなたの故郷はここだ』というために活動をしているわけではない。あくまで自分のルーツを知るきっかけにしてもらって、それから先は自分たちの歩む道を突き進んでほしいのが自分の願い。現在最後の映像を作る活動をしている最中なので、機会があれば続報を聞かせていきたいと思っている」と。

松枝先生からは「故郷は君たちそれぞれだ」と、どの先生も言っている。自分は映像作品を通して、それぞれの日常がどうやって成り立っているのかということを、子どもたちに考えて欲しかった。子どもたちが将来、作品を見返すことで自分が育った環境を思い返し、インタビューで話してくれた人(自分を支えてくれていた人)の思いを改めて感じ取ってほしい」と結び、映画鑑賞&トーク会は締めくくられました。

 

夏休み期間というタイミングもあり、教育に関わる方も多数参加されました。約30名の参加者の方々は国内では岡山県から、海外からはオーストラリアから参加され、多彩な背景と年齢の方が共に映画の感想を語り合うという豊かな時間を共有できました。「制作した児童たちの総合学習に利用したい」とお願いしたアンケートの内容も濃く、あたたかであり、参加された方々と何らかの形でご縁が続くことを願いながら終了しました。

全体司会・進行:久保田彩乃

後半進行:武田悦江

文責:武田悦江