2019.11.22開催!伝えたいことがあるんだ! 宗方和子さん

 

今回のゲストはフリーアナウンサー・ラジオパーソナリティーの宗方和子さんです。「しゃべる仕事」とひとことでいっても、

その内容は司会者であったり、出演者であったり、話し方教室の先生だったり、専門学校で話し方を教えていたりと、

多方面で活躍されている宗方さん。

「話すこと」で生きていきたい

 

その最初のきっかけは小学生時代、放送部に所属していたことでした。「ピンポンパンポーン、お昼の放送の時間です」と放送すると「お前、勉強はできないけど、声はいいなあ」と担任の先生が言ってくれた。国語の時間に教科書を読むと「誰よりも聴きやすいなあ」と言われたことがうれしかった。勉強も運動も苦手だった少女(宗方さん談)は「話すこと」「読むこと」で生きていこうと思ったのです。

 

当時、テレビで流れていた「ヤン坊、マー坊、天気予報」の放送が大好きで、それを話す人になりたかった。高校生のとき「アナウンサーになりたい」と言ったところ「大学に行かないと無理だ」と周囲から言われ、「鏡を見てみよ」「スタイルを見てみよ」と先生方から散々言われ、何も言い返せなかった彼女。放送部の先生に相談したら「やってみないとわからないじゃない」と言ってくれました。相談にのってくれた青木淑子先生は、のちに県立富岡高校の校長となり、現在も演劇の演出家として活躍されています。

 

アナウンサーの勉強をするための資金を稼ごうと、高校卒業後、地元企業に就職した宗方さん。機械的な業務をこなしながら「人と関わる仕事がしたい」「自分の言葉で伝える仕事がしたい」と、テレビ局が募集していた「『ズームイン朝』キャスター募集!20歳以上の方へ」という求人に19歳で応募。募集条件に年齢が足りず落ちたものの、面接で指摘された長い髪を切り、翌日もテレビ局に行ったところ「そんなにやりたいなら…」と、テレビ局で働けることになりました。そこで雑用をこなしながら「しゃべる」チャンスを狙います。

「宗方できます!」自分から前に行かない限り、扉は開かない

 

テレビ局での雑用とは、フリップとよばれるカードを持ち「地図をご覧ください」と掲げたり、テロップを作ったりする仕事でした。半年ほどやるうちにリポーターの代役が回ってきます。ようやく巡ってきたチャンスなのに、たった3行の台詞が覚えられず、上司から何度もダメだしをもらう。そんな自分が悔しかった。それでも「もう一度お願いします」と言ってやり遂げました。その半年後、ズームイン朝のキャスターになりました。その時も別のキャスターのピンチヒッター。「明日までにこのナレーションが必要だ」「現場に行くリポーターが欲しい」ときに限って誰もいない。「誰かいないか?」「おう、お前がいたな。宗方こっち来い」と、いつも誰かの代役でした。周囲は大卒や大学院卒の美しく、きらびやかな経歴の持ち主ばかり。「できます!」と自分から手をあげない限り、扉は開かないと思っていました。

徳光和夫さんとの出会い

 

19歳でテレビ局の仕事をはじめ、20歳で念願の「ズームイン朝」のキャスターになれた宗方さんは、全国にいるキャスターの中で最年少でした。番組の司会、徳光和夫さんに初めて挨拶したときに福島県郡山市出身だというと徳光さんは、先の戦争のとき三春町に疎開していたことを話されました。「僕は三春の人に大変お世話になったから」と、月に1度、都内で開かれる会議では徳光さんの隣に座ることができたのです。

 

新人のリポーターにとって、会議はつらい場所でした。放送された言葉に対して、全国から集まったアナウンサー、ディレクターから赤ペンチェックが入るからです。無駄な言葉を指摘されるのは、いつも宗方さんでした。「君が話す時間にスポンサーさんがいくら払っていると思うか」「緊張感をもってやっているのか」と言われ、「申し訳ございません」「次までに直します」と返事をするのがやっと。その場で泣いたら即、退席です。その様子を横でじっと見て、励ましてくれたのも徳光さんでした。それだけではなく話し方の練習方法も教えてくれました。徳光さんは、いつも電車から見える景色を、接続詞なしで延々としゃべり続けることで、無駄な言葉を使わずに話す練習をしていると。徳光さんの存在は、今でも司会、朗読、ナレーションなど、あらゆる仕事に活きているといいます。

人間のプロになりたい

 

19歳でテレビ局に入り、20歳で「ズームイン朝」のキャスターに選ばれて以来、「話す」ことを基点に、さまざまな分野の仕事をしてきた宗方さん。他のテレビ局やラジオ局でも仕事をしましたし、個人でも仕事をうけてきました。ただ「〇〇局の宗方和子」「〇〇番組の宗方和子」と、関わっている番組や放送局の看板が先に立って見られがちなことに違和感を抱いていました。その一方でずっと見守り続けていてくれて「がんばれ」と励ましてくれる人もいました。プライベートではお子さんの一人を非常に不本意な形で亡くすという、つらい経験もしました。その経験を消化し、人に語れるようになるまでに20年の年月を要しました。

 

だから宗方さんは思うのです。「人は裸で生まれて、裸で死ぬ」と言われるけれど、裸んぼうの自分が、精一杯ばたばたしながら生きて、周囲から笑われようが、ののしられようが「いいじゃない。私だもの」と思いながら、最後は棺桶のふたを自分でしめる元気があったらいいなと。昔話みたいに「はい、おしまい」「めでたし、めでたし」と人生が終わったらいいなと。

 

宗方さんには彼女が気にしていること…。たとえば「容姿が美しくないこと」「学識がないこと」などについて、いつも本音で語れる人がいました。だから「今何をすべきか」を常に考えることができたように思うと言います。改めて「道を教えてくださったすべてのみなさまに感謝します」と結びました。

今回の参加者は、日頃、講座やイベントなどで宗方さんと交流のある方がほとんどでした。仕事の場での彼女を知っているからこそ、その裏のエピソードに涙する方もいらっしゃいました。後半は宗方さんが講師になり、参加者同士がペアになる「30秒でできるお相手紹介」を体験。あっという間の2時間でした。

 

 

                                                    聞き手:久保田彩乃

                                                    撮 影:武田悦江