2019.5.14開催!対話の会を8年間続けてきた理由とは?霜村真康さん

今回のゲストは、いわき市、平にある涅槃山 袋中寺 菩提院の副住職であり、東日本大震災後は浄土宗若手僧侶による仮設住宅等での傾聴活動や、震災・原発事故後のさまざまな分断の緩和をめざした対話の場、「未来会議」の副事務局長、また平市街地にあるお堂を活用し、地域の人々の交流の場、「廿三夜講復活プロジェクト」などを立ちあげた、霜村真康(しもむら しんこう)さんです。

 

浄土宗の寺、菩提院は1599年に袋中上人が開山しました。袋中上人はその後、琉球に渡り、いわきと琉球の橋渡し役になりました。上人の伝えた念仏が、琉球の歌・踊りと融合してエイサーの源流となり、上人の去ったのち磐城地方では、じゃんがら念仏踊りが盛んになり、両地域のお盆行事として現代に至っています。その寺で妻、3人の子どもたち、義父母、義妹の8人家族で暮らしている霜村さんの人生と、そのターニングポイントを伺いました。

栃木県栃木市にある、天台宗の寺院の四男として生まれた霜村さん。小学校では休み時間になると、特別支援学級に行って一緒に遊ぶ子どもでした。霜村さんには同い年の従兄弟がいて、彼は重度の自閉症でした。「なんか他の子と違うな」と思いながらも、幼い頃からこの従兄弟とよく一緒に遊んだそうです。振り返ると「世の中にはいろんな人がいる」ということを、霜村さんは、この従兄弟から教わったのではないかと思っています。

 

中学時代、高校時代はボランティア部に所属。当時は「福祉ボランティア」が中心だった時代です。障がい者専用列車「ひまわり号」に乗ったり、知的障がい者更生施設で合宿をしたり、社会福祉協議会が開催するイベントの手伝いをしたりしました。「学校」という枠にとらわれずに「人に尽くす」「人のお世話をする」ということを、多様な人と交流しながらやれたのが楽しかったのです。

 

楽しかったボランティア。これを「コーディネートする仕事があればおもしろそうだ」と福祉系の大学を受験。合格した大正大学は仏教系だったため、天台宗僧侶の資格も取ることにしました。大学4年のとき、のちに妻となる宮美さんと出会います。3人兄弟の長女として生まれた宮美さんは、菩提院の跡を継ぐために大正大学に入学しました。交際を重ねる中で霜村さんは、宮美さんの実家、菩提院を継ぐことを決意。大学で取った僧侶の資格は天台宗だったため、卒業後、改めて浄土宗の修行をしました。

 

2004年に宮美さんと結婚し、いわき市民になった霜村さんを、周囲の人たちは「菩提院の副住職」として受け入れてくれ、「若和尚」として大切に接してくれました。その環境の中、浄土宗の勉強や寺の勤めに勤しみます。寺の仕事だけではなく、まちおこしのイベントにも積極的に参加。いわき湯本温泉を盛り上げようと2008年から定期的に開催されたイベント「いわきフラオンパク」で「坊主バー」を開いたり、菩提院を開山した袋中上人を紹介するプログラムを行ったりしていました。栃木県栃木市出身の霜村さんは、街の人とつながることによってご自身の世界を広げていったのです。

 

 

2011年3月11日に発生した東日本大震災は、津波・原発避難者、放射線被ばく問題など、人々の間に心の亀裂を生み出しました。このままではいけないと浜通りに住む有志が、「対話」を通して人々が向きあい学びあう「未来会議」という場をつくりました。未来会議とは、どんな立場の人でも安心していられるように「相手の話に耳を傾ける」「その場ですぐに否定しない」「結論を出すことを目的にしない」ことなどを大切にする場です。事務局メンバーの一人として霜村さんも関わっており、菩提院のお座敷は事務局の打ち合わせや、時に未来会議の会場として利用され、人々の対話・交流の場になっています。


ここまでお話いただいたあと、改めて霜村さんに人生のターニングポイントを伺いました。霜村さんの人生のターニングポイントとは「結婚によって、いわき市民になったこと」でした。「菩提院の副住職」として受け入れられ、街のイベントに参加することを通して、いわきの人たちとのつながりが生まれました。震災という辛い出来事がありましたが、未来会議を通して、つながりはさらに広がりました。

「基本、自分が楽しいと思うことしかやってこなかった」と霜村さんは結びましたが、自閉症の従兄弟と、実の兄弟のように過ごした幼い日々。特別支援学級の児童たちと一緒に遊んだ小学生時代。ボランティアに勤しんだ中学高校時代、そして未来会議をはじめ、いくつかのプロジェクトを立ちあげている「今」と、過去が「一つのベクトルでつながっている」ように思いました。

休憩をはさんで後半は、霜村がファシリテーターになり「私たちにとって多様性とは」という議題で、※ワールドカフェ形式で話し合いました。今回は、対話の経験者も多く参加されていて「対話を通して、人生を振り返る」時間の温かさを「霜村さんの人生」という縦糸を通してあじわう回となりました。

 

※ワールドカフェとは

参加者は4~5人ずつに分かれ、テーブルごとに対話をする。一定時間が過ぎれば、テーブルのメンバーを入れ替え、対話することを繰り返し行う。少人数で対話をすることで、相手の意見を聞きやすく、自分の意見も言いやすいのが特徴。

聞き手:武田悦江

撮 影:三部香奈