2020.8.12開催! タクシー屋が、なぜFoodCampⓇに取り組むのか?  山口松之進さん

                                       画像提供:株式会社 孫の手
                                       画像提供:株式会社 孫の手

今回のゲストは郡山観光交通株式会社、孫の手トラベル代表取締役 山口松之進さんです。

1955年創業。タクシー事業からスタートし、運輸、バス、整備、物販などを展開している山口タクシーグループの中で今、注目されている事業は、孫の手トラベルが手がけるFoodCampⓇ。福島県が誇る本物の生産者がつくったものを、お客さまが生産者の畑で生産者と一緒に食べるという、畑の中で開催される一日限りの青空レストランです。タクシー会社がなぜ、FoodCampⓇによる飲食業に取り組むことになったのでしょうか。山口松之進さんの人生における4つのターニングポイントと共に、山口グループの、そしてFoodCampⓇの事業展開を一緒にたどっていきましょう。

健康優良児そのものだった自分がまさかの入院

山口松之進さんは1970年生まれ。中学高校時代を野球一筋ですごし、大学進学時に上京。大学4年のときに自然気胸にかかります。自然気胸とは肺に穴があく病気で、そこから空気が抜けると呼吸ができず、苦しくなり、まれに亡くなることもある疾患です。一度で完治せず3回ほど入退院を繰り返した結果、大学4年の1学期を、ほぼ病院の大部屋で過ごすことになりました。

ある日、同じ部屋の人が個室に移るのを知った若い山口さん。「個室に行けていいな」と思いました。ところがその晩、個室の前を通ると、部屋からすすり泣く声が聞こえてきます。患者さんの死期が近いので、家族が看取るために大部屋から移ったのです。そのことを知ったとき、羨ましく思った自分を恥ずかしく思うと同時に、「死」が急に現実味を帯びていくのを感じました。一度きりの人生。自分は今まで自分らしく生きてきたのか。やりたいことをやってきたのか。「後悔しない人生を送る!」この経験は22歳の山口さんにとって、最初のターニングポイントでした。

タクシードライバーさんて、すごいですね!

 

大学卒業後、不動産会社に5年間勤務したのち郡山市に帰郷。27歳で山口タクシーグループの専務に就任します。当時の会社の事業のうち黒字経営はわずか2社、しかも会社の基盤であるタクシー会社がすべて赤字状態であることに驚愕します。「どうすればいいのだろう」途方にくれたときに出会ったのが介護タクシーでした。

介護タクシーは、九州にあるタクシー会社がすでに始めていました。2002年に実施されたタクシー事業参入の規制緩和を前に、タクシーがもつ意義を見直した結果、地域に住む多くの高齢者の存在に気がつき、始めた介護タクシーでした。「これだ!」と思った山口さんは40名の社員と共に介護ヘルパー2級の資格を取得。介護タクシー開業の準備に取りかかります。

研修の最終日、山口さんは「タクシードライバーさんて、すごいですね!」と実習先の施設長から声をかけられます。介助ではお世話をする人への「声かけ」が大事。ちょっとした声がけにより、お世話をされる方もリラックスし、介護がスムーズになるからです。老若男女、さまざまなお客さんを乗せるタクシードライバーにとって、お客さんに合わせた会話はお手のもの。介護での、お世話する人への声がけも同様です。それに加えて比較的年齢が高く、人生経験が豊富なドライバーたちにはオムツ交換などの作業もさほど抵抗がない。それを「素晴らしい能力ですよ」と賞賛する言葉にハッとしました。

 

タクシー事業の業績がふるわない中で経営に関わった山口さんにとって「家業」ではあるものの、タクシーを良い事業だとは思えなかった。でもそれは自分自身の思い込みにすぎなかったのではないか。見る角度を少し変えるだけで、自社に眠っている、たくさんの宝物に気づきます。施設長のひと言が山口さんの経営者人生を変えたのです。


介護タクシーを事業化するにあたり「孫の手のようにかゆいところまで手が届くサービス」という意味を込めて「孫の手タクシー」と名付けました。介護タクシーがスタートし、サービス提供責任者として介護保険の契約をするために、山口さんが300軒以上のお宅を伺って感じたのは「高齢者が家の中に閉じ込められている」ということであり、その方々の楽しみのために外出させたいと思い、始めたのが「ドアtoドアで旅行できるツアー」です。それが孫の手トラベルの発祥であり、FoodCampⓇ事業も孫の手トラベルが運営しています。


「こおりやま」ってどう書くんだっけ?

27歳で専務になり、若くて血気盛ん、理想論に燃えていた山口さんは、たびたびドライバーと衝突しました。「タクシーは運送業ではない、サービス業なんだ」と言い続け、「これからはタクシーもサービスの時代だ」と従業員に言っても理解してもらえない。山口さんの思いが理解されず、辞めていったドライバーもいました。あるとき、お客さんとトラブルを起こしたドライバーを叱責し、始末書を書かせようとしたときのことです。なかなか手が進まない彼は「こおりやまってどう書くんだっけ」と山口さんに言うのです。続けて「おれ中卒だから。漢字書けなくて」と恥ずかしそうに言いました。その言葉にハッとする山口さん。今回はトラブルを起こしましたが、別のお客さんから指名されることもある彼。それなのに自分は、悪いところにばかり目が向いていたのではないか。そもそも1955年の創業以来、会社が何十年も続いてきたのは、ドライバーさんあってこそではなかったのかと。経営者と従業員の関係は上下関係ではなく、それぞれの役割の違いだけだと気づいた山口さんは、以来、社員が輝く場所づくりに目を向けるようになりました。

 

自社における社員の存在を、郡山市という地域全体に当てはめて見直すと、多くの人が「こおりやまには何もない」と口にしていました。でも見方を少し変えるだけで「何でもある」に変わるのではないか。その気づきは、当時所属していた郡山青年会議所での活動に活かせたと山口さんは振り返ります。

タクシー業の原点に立ち返った東日本大震災・原発事故、そして100年後の福島

2011年3月11日。忘れもしない東日本大震災が起きた日です。高速道路や鉄道など交通機関の被害は大きく、運行に支障がなかったタクシーを必要とするお客さまからの問い合わせが殺到。東京へ、あるいは交通機関が正常に動いていた新潟方面へと、遠距離の移動を希望する人を大勢乗せることになりました。原子力発電所の爆発による放射線災害を懸念する県民も多かった当時、比較的年齢層の高いドライバーたちは休む人も少なく、進んで仕事をしてくれたことも幸いしました。タクシーを喜んで利用していただき、感謝されるという貴重な機会を得たことは、会社にとってタクシーの原点に立ち返った経験でもありました。

一方、東日本大震災と原発事故による放射線災害を福島県民として考えた場合、原発事故を体験した福島県だからこそ、本当に必要な生き方を全世界に問いかけられると山口さんは考えます。75年前、米軍によって原子爆弾を投下されたヒロシマが、今では「世界の平和都市広島」になったように、原発事故が起きたフクシマが、100年後に「世界の共生都市福島」になり、世界中の人が「一度は行ったほうがいいよ」と言っている姿を思い浮かべながら、そのために自分たちができる一歩をFoodCampⓇという事業を通して踏み出している。

そんな気持ちで会社を経営していると。

 

同じような気持ちで福島県の人たちが、自分たちの得意なことで、それぞれの一歩を踏み出していければ、100年後は必ずそうなっていて、福島県が世界中から尊敬される地域になる!と力強く山口さんは語りました。

今回のターニングポイントは、会場&オンライン同時開催としました。オンラインで参加された方の中には、FoodCampⓇのファンでありながら、県外在住のために会場に行くことができない方や、郡山市を訪れたことはなく、山口さんのことも知らない方がイベントに興味を持たれて参加されるなど、参加者の幅が広がり、後半の質問タイムも盛り上がりました。感想をご自身のブログに書いていただく方もいたほどです。私たちの語り場が、郡山市が、福島県が、静かに広がっていくような嬉しい予感がする開催でした。改めてご参加されたみなさまに感謝いたします。

聞き手:武田悦江

撮影:久保田彩乃