2019.7.16開催! 「自分らしく生きる」とは? 阿部亜巳さん

今回のゲストは郡山市内の法律事務所で

弁護士として活躍している阿部亜巳(あべ あみ)さんです。

 

結婚後、第1子妊娠中に司法試験に合格。現在は12歳と5歳の男の子の子育てと仕事の両立に日々奮闘しつつ、郡山市教育委員会にも所属し、女性のキャリア教育活動にも力を入れています。「一人ひとりが自分らしい生活ができる社会にしていきたい」と語る、その想いの背景にある人生のターニングポイントを語っていただきました。

 

郡山市生まれ郡山市育ちの阿部亜巳さんは、高等学校の教員をしている両親と10歳年下の弟の4人家族でした。愛情深い両親でしたが、しつけに厳しい面もあり、様々なルールがある家庭で育ちました。ですから亜巳さんにとってルールとは「自由の対極にあるもの」でした。

そんな亜巳さんの意識を覆す大きな出来事があったのは小学校2年生の時。下校途中、自動車とすれ違いざまにバンパーにあたり、田んぼに落ちるという事故に遭います。幸いけがは軽くすみましたが、現場に駆けつけた警官の言葉が幼い亜巳さんの心に強烈に残ります。車にぶつかった時に道路の左側を歩いていた亜巳さんに、その警官は「右側を歩いていたら、もしかしたら、はねられなかったかもしれないね。歩行者は右側を歩かなければいけないルールを知ってる?」と聞きました。そして「ルールを覚えていると、自分が守られることがあるから、ぜひ勉強してね」と言いました。

警官が教えてくれたルールは「自分の身を守ること」。ルールとは「縛られる」ものと認識していた亜巳さんにとって、この出来事が法律に興味をもつ最初のきっかけになります。

 

1970年代から1980年代にかけて全国の中学校に校内暴力の嵐がありました。たばこを吸う中学生、生徒間のいじめのみならず、教師に対する暴力まで。そんな時代の空気も影響したのでしょうか。亜巳さんが進学した中学校は、当時、市内でも有数の「荒れている学校」で、生徒たちの関係もギスギスしていました。表面だけの「仲良しグループ」での、リーダー格の女の子の気分で「今日はあの子と口をきかない」という取り決めが、毎日のように行われていました。亜巳さん自身も同じ経験をし、その理不尽さに気づいていながらも何もできない自分が嫌でした。家に帰れば相変わらず厳しいルールが待っている。「勉強して、独立して、早く家からでる」ことが自身のモチベーションになっていました。

 

中学卒業後は福島県内でも有数の進学校に進みます。実は幼い頃から母方の祖母から「女の人生はなにかあるかわからない。結婚しても、しなくても一人で生活できるような力をつけなきゃだめだよ」と口癖のように言われてきた亜巳さん。夫を交通事故で亡くした祖母は、女手一つで2人の子どもを大学まで進学させたのです。祖母の影響により、小さい頃から「自立した生き方」を考え、交通事故がきっかけで「法律を勉強する」ことを目標にしていた亜巳さんにとって、高校生活は「目標に向かって黙々と進む」3年間でした。

 

努力のかいあって、第一志望の東北大学法学部に入学。教養部といって、2年生まではすべての学部生が一緒に授業を受けたので、いろいろな学生と知り合えた。志望校に合格し、法律を勉強するという目標を達成したことにも満足していました。在学中に司法試験は受けたものの、早々に不合格となり、卒業後は予備校の講師として法律を教えます。公務員志望の人たちが通う予備校で、

見事公務員試験に合格し、夢をかなえていく教え子たちを見ていると「自分はこれでいいのかな」と亜巳さんは思うように。

 

そんな時、知人から職場の待遇について相談を受けます。労働時間に対する報酬が見合わないという現状を打ち明けられ、アドバイスできたのは「違法です。払う理由があるから請求する権利があります」だけ。どこに相談に行けばいいのか、対価を払ってもらうためにどんな手段があって、どれを選べばいいのかなど、より具体的な回答ができなかった自分。結局、亜巳さんに相談した相手は、まもなく職場を辞めました。

 

法律の知識があっても、それを使い、世の中の理不尽なことを解決できないなら、法律を勉強した意味はありません。目の前の困っている人を助けるために、本気で司法試験に取り組もう!亜巳さん26歳の決意でした。29歳で結婚した後も司法試験の勉強を続け、長男を身ごもっていた31歳で合格。司法試験に合格後、司法修習という見習い期間に裁判所、検察庁、法律事務所で勉強します。その時にお世話になった郡山市の事務所に就職、弁護士としてのスタートを切りました。

 

就職して早々に、依頼者と対立している相手から強烈な嫌がらせを受けたこともありましたが、その中で数年かかった裁判を乗り切り、最終的には勝訴できました。嫌がらせを受けても屈せずに、依頼人を守り抜いたことは自信につながりましたが、弁護士という職業は恨みをかうこともある仕事なのだと実感。それでも依頼者を守るのだという覚悟も生まれたといいます。

 

現在、勤務する法律事務所の仕事のほかに郡山市教育委員会の委員をしたり、郡山女子大学でキャリア教育をしたりしています。弁護士の仕事は、もめ事が起こった後に相談を受けて、その解決をするということが多いです。ただ法律の知識があれば、未然に防ぐことができることもある。たとえば亜巳さんが小学生の頃、交通事故に遭った時に立ち会った警官から教わったように。

自分を守るために、学生時代からもっと法律を知る必要性を感じて講義を行っています。

 

亜巳さんにとっての人生キーワードは自立。小さい頃から自立した方がよいと言われ「自立って何だろう?」と模索した人生でした。私たち一人一人が自立して主体的に人生を選択することで、自分と違う生き方をしているほかの人の人生をも尊重できるようになる。それこそが、自分らしく生きることなのではないかと亜巳さんは考えます。

 

一つ一つの言葉に無駄がなく、順序立てて明解に話される亜巳さんのお話に、共感と感動の余韻を残しながら、後半は「自分らしく生きるとは」についてワールドカフェ形式で語り合いました。「自分が決めること」「他人と比べない」「自分の限界を超える」などのキーワードが出たり、参加者自身の人生を語るシーンがあったりと、発言はさまざまですが、気持ちは一つになっていくような。亜巳さんの人生を一緒に伺ったことで、弁護士という職業に対する親近感をいだきながら。笑顔があふれる場になりました。

聞き手:三部香奈

撮 影:武田悦江