2023.3.18開催!「対話からはじめよう」平成生まれの国会議員誕生ストーリー

今回のゲストは最年少国会議員として奮闘中の衆議院議員、馬場雄基さんです。

 

1992年10月生まれ。県立福島高校卒業後、慶應義塾大学法学部に進学し、三井住友信託銀行を経て松下政経塾へ入塾。国内外で地方自治を学び、コミュニティ施設経営にまちづくりの可能性を見いだした馬場さんは、福島市にあるコミュニティ施設「アオウゼ」事業統括コーディネーター、ふくしま地域活動団体サポートセンター連携・人材育成コーディネーターを兼任します。その後、第49回衆議院議員選挙に立候補し比例代表で当選。全国最年少、唯一の20代(当選当時)衆議院議員、平成生まれ初の国会議員になりました。

 

一見、順調な人生を歩まれてきたように見えますが、いくつかの挫折を経て今がありました。そんな馬場さんの人生と、そのターニングポイントに迫ります。

 

1歳半から始めたスイミング。まさかのドクターストップが!

 

郡山市生まれの馬場さんは、1歳6カ月の頃から自宅近くのスイミングスクールに通っていました。父の転勤で福島市に転居後も水泳を続け、幼稚園年長になると選手コースに入り、高校生と一緒に毎日泳いでいました。ところが小学校2年の時、いきなりドクターストップがかかります。息子の身長の伸びの低さを気にした母親が、彼を医者に連れて行き骨密度を調べたのです。結果、年齢の割に多い筋肉が、成長を阻害していることがわかりました。

 

「このままのペースで水泳を続けると、本当に背が小さいままになる。それでいいの?」

母から説得されて、毎日の練習を週1回のペースに落としました。

 

大好きな水泳を諦めきれなかった馬場さんは、「練習量を減らす」と決めた時に気づかなかった、あることに気づきます。

 

「どんどん抜かされるんですよ」

 

当時、一緒に大会に出ていた人の中には、のちにオリンピックに出場した人もいました。毎日練習していた時は圧倒的に速かった自分。だから仲間に抜かれるのは苦しかった。でも一緒に練習し上位の大会に進んだ仲間たちは、以前と変わらずに競技場に馬場さんを誘ってくれた。その繋がりはとても大切で、ありがたいものでした。

 

 よさこいに夢中になり、人を巻き込む手段を知る

 

水泳競技で挫折感を味わった馬場さんが、次に出会ったのはよさこいです。小学校3年生の総合学習の時間に取り組んだよさこい。ハッピ姿で旗を持ちながらチームで踊る。一人では表現できない、よさこいの躍動感とスケールの大きさに魅了されます。好きが高じて学年のまとめ役になり、放課後、憧れの団体に、よさこいを習いに行くまでのめり込みます。

 

ただ、クラスの誰もが馬場さんのように、よさこいが好きだったわけではありません。

クラスのまとめ役として「(よさこいが)好きな人も嫌いな人も一緒になって一体感を作っていく」方法を、人生で初めて全力で考える機会になりました。この経験は、今の政治活動にも活きていると馬場さんは言います。 

 

生徒会活動にのめり込む

 

県立福島高校に合格し、生徒会活動に興味を持ち、高校1年で生徒会副会長に、2年生では会長に立候補し当選します。高校3年生で生徒会長の再選を果たした時は、福島高校の歴史の中で最多得票率を獲得しました。 

 

「携帯電話持ち込み禁止」問題

 

生徒たちから一定の信頼を経て生徒会活動にのめり込んだ馬場さんですが、生徒会に対しても自由闊達に意見をぶつけてくる福高生たちです。もめごとは、いろいろありました。忘れられないのが「携帯電話持ち込み禁止令」問題です。

 

当時、学校における携帯電話の使用が問題になっていました。福島県教育委員会では「携帯電話の持ち込み禁止」が決まり、各高校に通達が届きます。生徒会顧問の先生から「携帯電話持ち込み禁止のマネジメントを生徒会主導でやりなさい」と指示された生徒会長の馬場さん。渡された書類には「情報リテラシーを高めるために、携帯電話の持ち込みの使用を禁止する」と書かれていました。

 

「携帯電話持ち込み禁止は、情報リテラシーの低下につながるのでは?」

「これ絶対違う!」

 

文面に矛盾を感じ、「規則だから」という言葉に違和感を覚える。「半年以内に生徒の意見をまとめて」という言葉に、「生徒会長である自分が責任を持って、あるべきルールづくりを示さなくてはならない」と考えて一人で動き出しました。でも何をどう発言し、動いていけばいいかわかりません。試行錯誤するうちに、気が付いたら生徒会役員の中で浮いていました。 

ある日馬場さんは、生徒会室の自分の机にびっしり書かれたルーズリーフを見つけます。それは当時の執行部役員が書いた抗議文でした。 

「人の意見も聞かずに、ただひたすら突き進むあなたに、私たちはついて行けません」

 

一生懸命やっているのに気持ちが伝わらない。生徒会室に執行部役員は来ない。一人では何もできない。その時、ある後輩から「馬場さん無理しすぎですよ」と声をかけられました。 

ガチガチに張っていた肩の力が抜けた時、生徒会長一人だけの表明が「執行部全体の意見」に変わっていくのでした。 

生徒会組織として、県教育委員会から提示された「携帯持ち込み禁止への反対」を決め、あるべきルールづくりを目指し、馬場さんたちは動きます。生徒一人一人が自律ある行動を取れば学校側にも納得してもらえると信じ、各クラス、部活動、各委員会に顔を出し、理解してもらえるよう話をしました。PTA会議や職員会議も開いてもらいました。最終的には校長と面談し「好きなようにやりなさい」と背中を押されたのです。

 

「任せてくれた大人たちがかっこよく見えたんです。福島高校の自由な校風、自由を許してくれる大人たちがいたから、今の僕がいるような気がしています」

 

失敗してもいいから、前に進ませてくれる環境、それが人を育てたり、人を作ったりしていく。それを高校時代に学んだという馬場さん。本当の自由とは、秩序がありながら自分の意思を貫くことができる。それが自由であると。その信念は今も変わらないと言います。 

 

 ボランティアで出会った子どもの笑顔から

 

高校卒業直後に東日本大震災が起きます。都内の大学に進学するため高速バスに乗り、後輩から届いた一通のメール「先輩逃げるんですか」という言葉が胸に刺さりました。入学した大学で「福島出身」と話すと同級生から引かれる思いを経験し、自己紹介が大嫌いに。憧れの大学だったのに、キャンパスライフになじめなかった馬場さん。ただ学生寮で一緒に過ごした友人たちは気遣ってくれました。彼らと共に行動した4年間でした。

 

大学卒業後は銀行員として神戸支店に配属されます。かつて阪神淡路大震災を経験した神戸の人たちは、福島県出身の新人行員に「大変だったね」と労ってくれました。仕事の傍ら、休日などを利用してボランティア活動にも取り組みました。島根県のとある小学校に植樹祭のお手伝いに行った時のことです。子どもたちと一緒に遊んだあと、帰り際に先生と保護者の方から呼び止められました。

 

「来てくれて本当にありがとう」

 

馬場さんが一緒に遊んだ少年は、福島県から避難してきた子どもでした。彼は島根県に避難してから、笑ったことがなかったそうです。すでに震災から5年以上経っていました。それにも関わらず「福島県出身」ということが、彼から笑顔を奪っていた事実。その彼が馬場さんと一緒に遊んで初めて笑顔を見せてくれたと知り、愕然とするのは馬場さんの方でした。

 

「福島に生きよう」と決心。そのタイミングで松下政経塾を知り出願。38期生として4年間研修を重ねます。 

 

 地域で復興を目指すつもりが、思いがけず政治家の道へ

 

松下政経塾に入塾し、研修を重ねた末にたどり着いた「住民主体のまちづくり」。福島市にあるアオウゼやふくしま地域活動団体サポートセンター、SDGsアドバイザーなどの仕事を兼務しながら活動を開始して3カ月経ったある日のことです。立憲民主党福島県連より、次期衆議院議員選挙への出馬要請がかかります。プライベートでは政経塾で知り合った、同期の菜里さんと結婚。福島市で新居を構える最中の出来事でした。 

「松下政経塾に入ったけれど、自分は政治家ではなく、実践者でありたかったから、どうしたら断れるかを考えました」 

断る理由を妻に相談した時、返ってきた妻の言葉は「びびっているだけでしょ」と。

 

銀行を辞め、松下政経塾に入塾し、やりたかったのは福島県の復興です。そのために現場から変えていくことをやりたいと思った。議会人ではなく実践者でありたかった。しかし妻から言われた一言に、本当に復興を成し遂げたいならば、国政をつかさどる必要があると、馬場さんは決意を固めます。

 

2021年11月、衆議院議員馬場ゆうきが誕生しました。

 

最年少衆議院議員として国会に立って約1年半。政治とは「国家の営みを担い、一定のルールをつくる」ことであり、そのためには、政治家は覚悟と決意を示す言霊の力が必要だと馬場さんは言います。そして行政は、その覚悟と決意を実行するために、何をすればいいのか考え遂行していくことが大事だと話します。

だから政治家は任期中に何をしたらよいのか。どんな社会にしたいのかを決意しないと、日本はいつまで経っても進まず、一向によくならない。このままでは失われた年月が重なっていくだけだと。

 

でも馬場さん自身、政治家になって強く感じていることは、「政治に光は絶対ある」ということ。「それは暗闇の中にある一瞬の光。社会を変えられる力は間違いなく政治にある。私たちの暮らしを底上げする力が確実にある。一瞬の先の光に真っ直ぐ歩み続けることができれば、私たちが光を諦めずに目指していうという気持ちになれば、必ず社会は変えられると思う」馬場さんは力強く語りました。

 

議員会館の馬場さんの執務室
議員会館の馬場さんの執務室
2045年に福島県の復興を責任持って前に進めていくのが政治家である馬場ゆうき
2045年に福島県の復興を責任持って前に進めていくのが政治家である馬場ゆうき

議員会館の馬場さんの執務室には、1枚の額が飾られています。それは彼が迷った時に見直す額です。「ここに嘘をつきたくない」と。その一瞬の光を見失わないようにするために書き留めた額です。

 

幼少期からのエピソードから始まる、いくつかのターニングポイントは馬場さんご自身の人柄を感じるものばかりでした。一緒に笑いながら話を聞いた私たちも、政治の話に移る頃には真剣な眼差しに。馬場さんの話がきっかけとなり、私たち大人がきちんと政治に向き合う大切さを感じました。

 

※当初「馬場ゆうき」さんでご案内しましたが、イベントで私人「馬場雄基」と政治家「馬場ゆうき」を分けているとお話しされたため、リポートでは馬場雄基さんと記述しました。

 

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聞き手:三部香奈

撮 影:武田悦江