2024.7.12開催!自分の中にある四つ葉のクローバーをみつける!「伝えること」が活動の中心になった理由(わけ)

 

今回のゲストは「PRアドバイザー」「ローカルコーディネーター」「フォトグラファー」として活躍中の新田真由子さんです。大震災発生をきっかけに、東北にボランティアとして通っていた真由子さんは、都内で開催された復興支援イベントで出会った南相馬市在住の人の詩集に惹かれ、作者に逢いにいきます。その出会いから福島県に移り住むことを決意した背景には「伝える」ことへの強い想いがありました。

 

真由子さんは「誰かの一歩を応援する」をミッションに「あなたの想いをもっとまっすぐ遠くまで。根っこと向き合いメディアで届ける」ことを仕事にしています。ここで言うメディアとはマスコミのことだけではなく「自分自身を含めた」メディア。マスコミに限定せず、いろいろな媒体を通して届けるという意味です。

 

現在は、地域情報の発信や、福島県を訪れる大学生の現地コーディネート、PRのサポートでは依頼主の目指すところに向かって、どのようにアプローチするかを一緒に考えたり、企画書などの作成したりしています。自主開催イベントやオーダーメイドツアーの企画、開催もしています。  

 

 

真由子さんは岐阜県にある小さな集落で生まれ育ちました。山林が94%の自然が豊かな土地で、子ども時代は3,600人だった人口が現在は約2,600人。幼稚園から中学校までクラス替えをしたことがない。そんな故郷を飛び出して、もっと広い世界を見たいと思っていました。しかし今ではそこが自分のルーツであり、大切な場所だと感じています。

 

今、言葉を大事にし、伝えることを仕事にしている真由子さんが、中学3年生の時に母親から言われた「言葉」によって、親子関係に溝が生まれたことがあります。その後も、それは真由子さんの中でわだかまりとして残りました。しかし、大人になったある日、同じ言葉でも母親がどんな意味でその言葉を使ったのかが、自分の認識と違っていたのだと気づいたことで、そのしこりが消えていきました。

 

 

何気なく使った言葉であっても、相手の受け取り方によっては人を傷つけることもある。言葉を「伝える側」と「受ける側」のギャップを身をもって経験したのでした。

 

 

フォトグラファーになりたい!最初のターニングポイント

 

大学を卒業し社会人になった真由子さん。終身雇用が当たり前だった当時、特にやりたいこともなく、会社にも「縛られたくない」という理由から、愛知県で派遣社員として働くことを選びます。契約の区切りを利用してネパールやカンボジアなどを長期で旅しました。初めてカンボジアを訪れた旅で、タイから国境を陸路で歩いて渡った時、物乞いの子どもたちに出会います。その時、見えてないふりをして、まっすぐ前だけを向いて歩きました。ところが2回目の旅で同じ場所を渡った時には子どもたちと手を繋いで笑顔で渡る真由子さんがいました。

1回目のときに、子どもたちを見ることができなかったのは、「かわいそう」だと決めつけていたから。2回目は目を見てその子たちとコミュニケーションをとった。そこには「今を生きている子どもたち」がいました。「本当の豊かさってなんだろう?」と考えさせられた旅の経験や、こうしたことから「自分の見方で世界は変わる」と気付きました。

 

帰国後、旅の写真を手に職場で発表する機会がありました。人前で話すことが苦手な自分が、旅の様子をよどみなく話せた。真由子さんは、自分が想いを共有することや、伝えたいことがあれば、自分を饒舌にさせることを知ったのです。そこで、写真と言葉で伝える人になりたいと思うようになるものの、今更・・とチャレンジできませんでした。

 

それでも、「自分で自分を諦めない」と、フォトジャーナリストを目指すことにし、2010年に派遣の仕事に区切りをつけます。元々環境問題や自然に関する社会課題に関心があったので、再生可能エネルギーを扱った雑誌の特集に関わり取材を始めます。そして2011年、東日本大震災が発生。原子力災害に憤る仲間は多く、原発反対の声は高まりました。でも、その時に自分が原発が反対だとしても、国や東電を正しいか間違っているかの前に、被災した当事者ではないからこそ自分の暮らしや生き方を省みることが大事だと感じたそうです。事故を起こしたことは許せないけれど、電気代が高い・安いなどにしか関心がなかったのではないか、自分の無責任さを反省しました。そして、「ボランティアに行こう!」4月上旬、真由子さんはカメラを持たず、ボランティアの応募に一番早く返事が来た宮城県石巻市に向かいます。他地域に比べて多くのボランティアが来ていた石巻市でも、人出は足りていませんでした。また真由子さんがやれることも限られていました。

 

「私一人にできることは限られているけれど、私は出会った人たちに関わり続けよう」

 

現地で出会た人に「写真に残して伝えてほしい」と希望された。真由子さんは被災地の写真を撮ることにしました。

 

その頃、著名なフォトジャーナリストのワークショップに参加し、石巻市での写真を見てもらう機会がありました。当時通っていた家のご夫婦を撮った、笑顔の写真を見せたところ「笑っているから伝わらない」とジャーナリストから言われたひと言に違和感を抱きます。それは、瓦礫を前に男性が笑っているものでした。非日常が日常になり、日常が非日常のままである中を生きてる人たちがいる。その現実に違和感を感じた写真でした。

 

確かに、震災の「つらさ」をわかりやすく切り取った写真の方が、伝わりやすいかもしれない。しかし写真を撮らせてもらった人たちを嫌な気持ちにさせるような写真は撮りたくない。この経験も「伝える」ことに向き合うきっかけの一つとなりました。

  

 石巻市での出会いから「東北に住む!」と決意した真由子さんは、都内に引っ越します。ある日、都内の復興支援イベントで南相馬市小高区から避難した人の詩集が目にとまりました。避難生活や震災への思いなどが書かれた詩に心を惹かれ、「南相馬市まで逢いに行きたい」と思い、市内の仮設住宅に通います。そこで、90歳代のご夫婦を紹介されて、震災前の暮らしぶりや思い出話の聞き書きを始めたのです。ご夫婦との出会いから「東北に住もう」が「福島県に住もう!」に変わった真由子さんは、福島県で仕事を探します。南相馬市では仕事が見つからず、次に応募した飯舘村の仕事は既に決まっていました。その時に福島大学の先生と出会い、福島大学で働くことに。紹介されたプロジェクトでは地域コーディネーターとなり、その中で「地域実践学習 むらの大学」という授業の地域コーディネーターになった真由子さんの担当は、偶然にも南相馬市だったのです!

 

福島での年月を重ねるにつれて「伝えたい」という気持ちが高まるのを感じました。自分の中にあるものを、出さなかったら「ない」のと同じ、だけど、出してもそれを見てもらえない・理解してもらえかったら、それも「ない」のと同じになってしまう。そこで、言葉だけでなく、もっと自分が表現したいことを表現する力が必要だなと思いました。大学で働きながら、週末は写真表現を学ぶために1年間、毎週末、都内に通うようになります。

 

大学での仕事を終える年に、受講生の言葉を集めた冊子を作ることになりました。

その時に思い出したのは、東京から福島県に移り住むタイミングで、当時一緒に働いていた人に「高校生や大学生と一緒に一人の人と丁寧に向き合う聞き書きをやりたい。その出会いが若い人達の宝になるし、福島の人にとっても孫のように思え、血の繋がりはなくてもお互いを大事に思える関係性ができるんじゃないかと思う」という話をしたこと。つらいこともあったし、自分の思い描いていたものとは違うけれど、我を通して力むのではなく、流れに身を任せてやってきたら、思っていた以上の形で願いは叶うと感じました。 

 

 

福島での経験を納得して言語化できるようになるまで、かなり時間はかかりました。ただ、いろんな方面へ想像力を働かせて言葉を尽くすことや、どう表現するかということも大事だなと、様々な方の発信や表現などを見て感じています。

 

大学での契約期間を終え、フォトグラファーの活動を始めた最初の仕事は、雑誌のパン特集。パンの写真を撮り紹介記事を書くというものでしたが、取材中、雑誌の記事には全く関係のない「なぜこのパン屋ができたのか」「どんな思いを込めてパンを焼いているか」などの話に胸が熱くなりました。この経験から、自分は単に写真を撮ることがやりたいのではない。目の前の人とじっくり向き合って関わり、それを伝えていくことがやりたいのだと再認識した真由子さん。でも、そこからが大変でした。写真を撮りたいのに、仕事で撮りたくない。

 

「自分が何をしていいのかわからなくなりました」

 

写真撮影をする。広報紙を作る。WEBサイトも作る。取材もする。目の前の人たちのこと応援したくて、できることであれば要望に応え、頼まれた仕事は何でもやりました。その中で「PR」という仕事を知った真由子さん。

 

「知ってからも1年以上悩みました」

 

いろいろなことをやってきたが、それを仕事にしたいわけではないので、実績の積み重ねもないし、自分が何をやる人なのかを説明できない。

 

「自分をアピールするのが苦手だからPRを学ぶことにしました」

 

PRを学ぼうと思った理由は、ほかにもありました。

 

「当時関わっていた人たちを応援したいと思ったのです」

 

メディアに注目されない中でも頑張っている人がいることを、もっと知ってほしかったから。また、メディアに取り上げてもらっても、こちらが意図したことと違って伝わることもあります。そのための伝えるスキルを学びたいというのもあります。

そして、私が個人で伝えるだけよりも、メディアの力を使うことでもっと広く知ってもらう機会になり、今関わってる人たちのことをリアルタイムに応援できると思いました。

 

「双方向のコミュニケーションであるPRは、ただ知ってもらう、売上を上げるということではありません」

 

PRは、社会の人に理解してもらって信頼関係を築き、支持や共感、いいねなどの応援を増やしていくコミュニケーション活動。

 

プレスリリースを書く以外に、自分が発信することはもちろん、説明資料や企画書、報告書の作成も、イベントの企画や運営、研修や視察など、これまでやってきたことが全てPRにつながると感じたそう。

 

真由子さんが大切にしていることは「結果を急がないで、長い目で見ること」。PRだけでなく、復興も、自分がやっていることも今だけで判断されがちですが、どんなことでも大事なのはその目的に向かう過程にあり、目指す未来に向かって少しずつ積み上げていくことです。たとえば、地域でイベントでも、全国的に知られるよりまずは、地域の人たちに認知され、一緒にイベントを盛り上げたいという気持ちを醸成し体制を作っていくためのコミュニケションが大事です。

 

メディア向けにプレスリリースを書くこともしますが、チラシを持ってご近所さんを一軒一軒歩いて回ることも大事なPR活動です。

 

 

過去に起きた出来事は変わらないが、過去への捉え方は変えられる

 

この日のテーマは「自分の中の四つ葉のクローバーを見つける」

 

自分自身はもちろん、地域、商品、サービスなど、人と比べて劣っていると感じたり、大した特徴がない、自分の価値が分からないという人も多くいます。しかし、「ない」ことにしてるのは自分自身。気づいていないだけで、誰の中にも四つ葉のクローバーのような特別なものは必ずあると真由子さんは言います。

 

見慣れた場所でも、ふとしたときに四つ葉のクローバーを見つけることがあります。でも、そこにあるのに気づいてなければ「ない」のと同じです。そして、人が歩いたり、田畑でトラクターなどが踏むような、少し過酷そうな環境にできやすい、という話もあるそうです。

 

人生を振り返って思うのは「ネガティブな気持ちやコンプレックスがギフト」であるということ。それが自分の才能を引き出してくれたりとか、本当にやりたいことを教えてくれました。まさに、人に踏まれるような場所で出来やすい四つ葉のクローバーのように、自分にとって特別なものです。

 

過去に人の言葉で傷ついた経験や、人にうまく伝わらないで苦労してきた経験があるから、相手を思いやる文章を書きたいと思った。人前で話すことが苦手だったけれど、伝えたいものがあるから、伝えるための努力をしてきた。

 

「過去は変えられない」とよく言われるけれど、過去に対する受け止め方は変えられると真由子さんは考えます。見方を変えれば「誰かのせい」「何かのせい」が「誰かのおかげ」「何かのおかげ」になる。経験を重ねることに価値があると考えていて、視野も広くなります。

 

「価値がない人や物はこの世にはありません。また、その価値というのは、これまでの経験とそこに込められた想いだ、ということを自分自身が感じてきました。」

 

同じ場所で同じものを見ていても、どう見てどう切り取るかの「視点」で写真や文章などの表現は変わります。見慣れたいつもの景色も、たいしたことないと思っていたモノも、つまらないと思っていたコトも・・・本当は、そこにはたくさんの色彩と光があふれ、影やマイナスだと思っていたものはコントラストとなって、その陰影が深みを増すエッセンスとなっています。自分が、どう目を向け、意味づけをしているかだけ。

 

PRや発信など何でも、何か変わったものや特徴がない、人より優れてないから難しいと思っている人もいます。でも、人がいれば必ずそこには、ストーリーがあり、大切にしたい想いがあり、それが、その会社や商品やサービス、自身の魅力となります。どこに光を当て、どんな切り口で見せるか、そこをとらえ表現するのは、写真も文章もPRも、何でも同じです。

 

20代の頃からフォトグラファーに憧れていた。「写真だけでやっていけたら良かったと思うけれど、目の前の人のことを応援したり関わったりしたいという気持の方が強かった」真由子さん。

 

「もっと楽に生きられたらよかったなと思うこともありますが、それでも今、こんなふうに過ごしてきたよかったと思います」

 

一度決めて進み始めたら、今は見えなくても、すでにその道の上を歩いている。だからこそ、そこに進む中で自分が「なぜそれをやりたいのか」という意図考えた時に目的のブレなど、「何かしら違和感を覚えたとしたら、それを無視しない」ということを大切にしているそう。

 

「道に迷っても、全部自分の糧になるので、自分の選んだ道を『正解』と決めて進む。そう思って、今生きています」

 

 

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聞き手:武田悦江

   撮 影:三部香奈、武田悦江

文 責:新田真由子